書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki
日々、想いごと

【やまずともせめて、弱まりますようにと】

雨の音がすきだ。しとしとと窓をたたく音を聞いていると、いつまでも布団にくるまって、まどろんでいたい気持ちになる。蛹のように丸まって布団を身体に巻き付けて眠る癖のある私に、かつての恋人は「もうお前とは同じ布団では寝ない」と呆れたように笑った。何かで身体を包んでぎゅっと縮こまっていないとうまく眠れない。似たような生き物がどこかにいたなと思ったら、生まれたての赤ん坊であったことに気づいた。0歳児の赤ちゃんは、「おくるみ」なるもので身体を巻きつけると寝付きがよくなる。――私は赤ん坊並みに眠るのが下手くそなのか。そう思い至り、やれやれと小さく苦笑を漏らした。

仕事が詰まっている。本来ならこうしてエッセイを書いている場合ではないのだけど、これが私の休憩時間でもあるから少し多めに見てほしい。起き抜けの頭を起こすには、「書く」行為が一番なのだ。

身体は数時間前に目覚めていたらしい。しかし、私自身の人格が意識を手にしたのは午後15時過ぎ。枕元には中村文則さんの小説。私のなかの誰かは、近頃、中村さんの小説にハマっているらしい。
「解離性同一性障害」という病名を聞くと、大抵の人はぎくっとするかもしれない。何か得体の知れない、怖い生き物のように感じるのだろう。でも実際は、まったくそんなことはない。数時間記憶が飛ぶという困った特徴はあるけれど、その間を繋いでいる人たちは、私の生き方を大きく邪魔するような真似はしない。その点、私はおそらく恵まれているのだろう。

私のなかの誰かが私のTwitterやnoteを触ることを、私は固く禁じている。そして、それをみんな忠実に守ってくれている。私のなかには男性の人格もいる。口調は男性特有のもので、「俺」という主語で語り、私の話し言葉とはまったく違う語彙を扱う。その口調のままで私のSNSアカウントで発信などされようものなら、きっと周囲は驚くことだろう。だから彼らは、彼らだけのアカウントを作り、そこで思うままに日々の思考を呟いている。そうやって住み分けをする必要性を、彼らは理解してくれる。だから私の日常は、病名が世間一般に与えているほどの極端な軋轢を生まずに済んでいる。

交代している間に家事をこなしてくれるやさしい女性もいる。本がすきな男性人格は読んだ本を決して片づけないけれど、私の身に理不尽なことが起きたときには誰よりも親身になって考えてくれる……らしい。脳内会議は未だに成立しない。でも、たまに聞こえてくる声の総量は少し増えた。
なんとなく混ざっているような変な気持ちになる夜、身体の輪郭がぼやける。そういうとき、私はとても物悲しい気持ちになる。すぐそばにいる誰かの存在に気づきながら、手を伸ばそうとするも決して届かない。その“誰か”は明確に泣いているのに、私はその誰かを抱きしめたいのに、身体はひとつしかなくて、溶けあえなくて、触れなくて。見えそうなのに薄いベールに邪魔をされて、まるで山にけぶる霧のように私の視界を得体の知れない何かが遮る。やりきれなさを抱えながら、布団にくるまる。そうしているうちに、意識は底へと沈んでいく。

他の人格と自由にコミュニケーションを取れるというのは、どういう感覚なのだろう。私にもいつか、そんな日がくるのだろうか。きてほしい気もするし、このままでいいような気もする。一番いいのは、私のままで24時間を過ごせることだ。私はいつだって「ふつう」を求めている。

物を書いていると、たまに「不幸な過去があると書くネタに尽きなくていいね」と軽々しく言われることがある。本当にそう思うのなら、今すぐ交代してほしい。いつだってくれてやる。こんな過去も、後遺症も、障がいも、私は何ひとつ惜しくない。捨てられるものなら捨てたいし、外科手術みたいに切り取れるものならばっさりと切り落としてしまいたい。

先日、noteで書いた記事にサポートをいただいた。そこに書かれていた言葉に、私はあまりにも救われてしまって、身も蓋もないほど泣いて、泣いて、泣いた。

経験されてきたお辛いことは決して“必要なこと”なんかではないけれど、それを経て紡いで下さった言葉は多くの人にとって“必要なこと”で、救いで、社会が前に進む力になっています。

私の経験そのものを「必要なことなんかではない」と言いきってくれた。そのうえで、私の言葉を「必要なこと」だと言ってくれた。それが何よりも嬉しかった。

先日、Twitterでこんな呟きをした。

たったこれだけの一文に、2,000を超える「いいね」がついた。それを見て、それだけ多くの人が自分の痛みを「誰かの学びの材料」にされてきたのだなと思った。痛くて苦しくて足掻いて泣き叫んで肌を掻きむしって己を痛めつけて。そうやってジタバタとのたうち回ってきた日々を、容易く教科書代わりにされる。ときには直接、「その経験があったから今があるんだし、もういいじゃない」と言われることもある。

“もういい”

そう思える日が増えたのは事実だ。しかし、同時にそう思えない夜も未だにある。痛みを「学びの材料」にしていいのは「本人だけ」のはずなのに、平然と「その痛みから学べ」と言い放つ人もいる。それが新たな痛みを生むともしらず、言い放った本人はそれを「やさしさ」だと勘違いしているのだから始末に悪い。

痛みから「学ぶか」「学ばないか」を選ぶ権利があるのは、痛みを負った本人だけだ。「学びの材料」にするにはあまりにも強すぎる痛みも往々にしてある。そういうものは、せめて繰り返したくない。次世代に引き継がない方法を、必死で考えたい。そう思って文章を書いているのだけど、ときにその文章が誰かを傷つけてしまうこともあったりして、日々頭を抱えている。だから私が文章を表に出す基準は、「誰かを傷つけるリスクを背負っても尚、伝えたいことがあるか否か」だ。

雨足が強まってきた。外はもう薄暗く、街灯の灯りが灰色の地面を温かく照らしている。窓のシャッターを閉めようと手をかけると、冷たい滴がするりと腕を伝った。もうすぐ、夜がくる。

今も昔も、夜はあまりすきじゃない。でも、夜でなければ書けない文章があったり、読めない文章があったりする。だから今も昔も、夜がすきだ。矛盾だらけで、眠るのが下手くそで、書くことがすきで、珈琲と海と二人の息子を愛している。それが私なのだと、いつか私が死んでも、それだけを覚えていてくれたらいいなと、そう思う。私の過去は必要なものなんかじゃなくて、私の後遺症は人目を引くための武器でもなくて、できることなら引き受けたくなかったのに押し付けられた痛みで、そしてそれは私のアイデンティティではなくて、ただもう繰り返してほしくないだけで、本当に、たったそれだけなのだ。私が表で過去を書く理由は。

「何者」かにならなければ、声は届かないのだと思っていた。でも、そうじゃない。大勢には無理でも、ちゃんと届く。ひとりに届けば、誰かがそれを繋いでくれる。本来インターネットというものは、そういうことのためにあるはずだった。誰かを踏みつけるためではなく、心を持って手を繋げる場所であるはずだった。

電波に乗って届く文章は、生の感情が多い。切実なもの、温かいもの、笑い声、悲鳴、泣き声。どれがいいも悪いもない。きっと誰しも、願っているのだろう。どうか、この声を拾ってください、と。たったそれだけを願い、小さな機械を握りしめている。そういう人の心に降る雨が、やまずともせめて、弱まればいい。ざあざあ降りではなく、しとしとと静かな雨音に変わる頃、きっと心はほんの少し、顔を上げはじめているから。


ABOUT ME
碧月はる
エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。その他メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。