書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki
日々、想いごと

【誰かを憎むのに疲れた夜は】

「いい人」と言われることの多い人生だった。そう言われるたび、私は素直に喜んでいたし、どこか誇りに思っていた。他者からの評価がなければ安心できない。誰かに褒められ、認められてはじめて私は私の存在を受容できる。そんな歪んだ認知を、随分長いこと携えて生きてきたように思う。

その生きかたが大きく変わったきっかけは、冬に経験した離婚と子どもたちとの別離だった。私は親権を望んでいたが、さまざまな理由から最終的には諦める選択をした。そして、単身引っ越しをした。自分のことを誰も知らない土地に行きたかった。誰からも後ろ指をさされない場所へ、ひたすらに逃げたかった。

新しい住処は、想像以上に早く私の心身に馴染んだ。空は高く、広く、海は荒々しく、川べりは穏やかで、虫や鳥の歌声が空気を伝って窓辺に届く。コンビニでもスーパーでも、誰にも会わない。ばったり会って顔をしかめる人も、にこやかに話しかける素振りで情報を引き出そうとしてくる人もいない。誰も私を知らない。誰からも関心を持たれない。遠く離れた土地で今でも噂の種になっているのかは知る由もないが、目にも耳にも入ってこない場所まで逃げ切った私の心は、湖面のように穏やかだった。

引っ越しをするにあたり、多くの人から非難を受けた。
「最低だ」「母親失格だ」「考え直せ」
「いい人」とは真逆の言葉で、散々罵られた。「いい人」と思われたい私は、そのたびに心を大きく揺らした。私は最低なのかもしれない。こんなの間違っているのかもしれない。考え直すべきなのかもしれない。投げつけられた言葉に脳内を占拠され、たまらず足踏みをする。しかしそのたび、私の真ん中で幼い子どもが大声で駄々をこねた。

いやだ。いやだ。いやだ。
もう、ここにいるのは、いやだ!

私のなかの駄々っ子が勝った。おそらく私の人生において、二度目の勝利だった。一度目は、元夫との別居を決意したとき――それ以上に大きな葛藤を抱え、幾度となく迷いながらこの土地に辿りついた。そうして今、私は自身が望んだ土地で、文章を書いて生きている。

引っ越しをしてすぐの頃、『進撃の巨人』のアニメをAmazonプライムで一気見した。なぜかはわからない。ただふいに、無性に見たくなった。暗い部屋で猫背になりパソコン画面に見入っていた私は、ある台詞を耳にして思わずマウスを握りしめ、数秒前に巻き戻した。

❝「『いい人』か。その言いかたはあまり好きじゃないんだ。だってそれって、自分にとって『都合のいい人』のことをそう呼んでいるだけのような気がするから」❞

アニメ『進撃の巨人』より

主人公エレンの親友である、アルミンの言葉だった。大人しくて穏やかな性格のアルミン。そんな彼がおずおずと言ったこの台詞を、繰り返し再生した。私が長年しがみついてきた「いい人」の正体はこれだったのだと、とうの昔にわかっていた。それなのに振り切れなかったのは、私の弱さだ。

元夫との間に起きたあれこれ。新興住宅地でのママ友同士のトラブル。日々、呆れるほど膨れ上がる問題の大きさに、しばしば言葉を失った。でも本当は、言葉を失っている場合ではなかった。私はそこで、「やめて」と言わなければいけなかった。「そういうことをされたら傷つくよ」と、「いやなんだよ」と伝えなければならなかった。例えそれで相手に嫌われたとしても、そんなのは私の人生においてどうでもいいことだった。

自分を粗末に扱ってくる人まで、大切にする必要なんてない。自分が心からしあわせを願う相手、対等に大切に扱ってくれる相手だけを、大切にすればいい。たったそれだけのことを本当の意味で理解するのに、40年もかかってしまった。我ながら飲み込みの悪さに呆れる。でも、何歳からでも遅すぎるなんてことはない。人は変われる。もちろん、変われないものもある。抱えている困難がゼロになる魔法なんて、この世の中には存在しない。だから、変えられないものにしがみつくのではなく、変えられるものに力を注ぐ。誰しもそうやって足掻きながら、みっともなくジタバタしながらこの世界を生きている。

願わくば、静かに穏やかに生きたい。息子たちの笑い声を聞いて、すきな本を読んで、うんうん唸りながら文章を書いて、そういう流れるようなありふれた日常を丁寧に生きたい。でも、そうできない何かが起きたとき、平穏を突き破ることを恐れずにいたい。起きた事柄を冷静に見つめた結果、明らかに相手に非があるケースまで自罰の感情で巻き取っていたら、あっという間に酸素が足りなくなってしまう。陸に打ち上げられた金魚のように口をぱくぱくさせたところで、声を出さなければやがて朽ちる。心が先に、続いて身体も、静かに確実に崩れていく。ぽろぽろとこぼれ落ちるその音は、自分にしか聞こえない。他の誰にも聞こえない。だからその音を、ちゃんと見えるカタチに変えて表に出してあげなくちゃいけない。そうしないと、誰にも何も届かない。

理不尽な事柄に対し「いやだ」と声を上げると、大抵誰かがその口を塞ごうとする。声を上げられると困る人にとって、真っすぐな拒絶の言葉は邪魔でしかないからだ。でも実際、物理的に口を塞いでくる人はいない。言葉や態度で圧をかけてくるだけで、私の口にガムテープを張って去っていくわけではない。だから私はもう、まやかしの「いい人」には囚われない。

誰かにとっての「都合のいい人」でいなければ、この世の中をうまく渡っていけないと思っていた。でも、そうじゃなかった。私が一番に聞くべきだったのは、他の誰でもない「わたし」自身の声だった。内側で奏でられる音に耳を澄ます。それを何よりも優先すべきだった。

今日より明日、明後日と、一日ごとにでも強くなりたい。人を踏みつけても平気で笑っていられる強さなんかいらない。私がほしいのは、ちゃんと痛みを感じながら、泣きながらでも顔を上げられる強さだ。それさえあれば、一度手放した手綱を、諦めず何度でも手繰り寄せられる。人の感情は機械じゃないから、完璧にコントロールなんてできない。でもだからといって、コントロールしようと努力することを放棄していいとは思わない。

自分の声を聞く。感情の手綱を掴む。

相反するこれらのバランスをいかに保つのか、それによって人の足跡は変わる。美しく保とうなどとは思っていない。でもせめて、その足跡に責任は持ちたい。

私は「いい人」じゃない。そして、「悪人」でもない。きっとみんな、そうなんだと思う。誰かを憎むのに疲れた夜は、そんなふうに力を抜いて温かいものを飲んで、小さな眠剤の玉を喉の奥に放り込んでさっさと眠ってしまおう。思考の続きは、明日の私が引き受けてくれる。

今夜は、満月だ。月が満ちる夜、何かがあふれる。無性に書きたくなるのは、いつだってこんな物静かな、月がふくらむ夜なのだ。

◇アイキャッチ画像は、心象風景コジさんの作品『碧月ーaotsuki-』◇

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noteで不定期にエッセイ、小説を執筆しています。そちらも合わせて読んでいただけたら、とても嬉しいです。

ABOUT ME
碧月はる
エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。その他メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。