書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki

プロフィール

サイト運営をするにあたり、自己紹介をしようと思います。

私は、東北の片田舎で産まれました。3人兄弟の末っ子で、上には兄と姉がいました。上の2人にとってはわりと普通の両親だったと思います。しかし、私には全く違う顔を見せる人たちでした。言葉の暴力、身体的な暴力は日常茶飯事。思春期に差し掛かる頃、酒乱である父親からの新たな暴力も始まりました。

耐えて耐えて、先に壊れたのは身体ではなく心の方でした。精神科の閉鎖病棟に入院した経験は、三度ほど。三度目に入院した時に巡り会えたドクターから初めて告げられたのが、『アダルトチルドレン』という言葉でした。

アダルトチルドレンは、病名ではありません。そもそもアダルトチルドレンとは何なのか?簡単に説明すると、子どもの頃に機能不全家族の元で育ち、心か身体、もしくはその両方が傷つき、その痛みが癒えぬままに大人になった人たちのことです。機能不全家族という言葉も、数年前に比べると随分世間に浸透してきました。子どもにとって、家庭とは温かい場所であるべきです。しかし、その大前提が機能していない。むしろ子どもが必死にバランスを取ったり、虐げられることで何とか形を保っている。それが、『機能不全家族』です。

私がサンドバッグになることで、我が家は何とか家庭としてのバランスを保っていました。何度も助けを求めたいと思いながらも、声をあげることは出来ませんでした。日常のあらゆる場面で、暴力と脅しがセットだったからです。

唯一全てを打ち明けられたのは、たった1人の同級生。心から信頼できる友人でした。しかし、友人もまた子ども。現状を変える術など持ち合わせているはずもなく、私はただひたすらにじっと心を殺し続けることで生き延びました。

10代でついに家を飛び出し、それからは身体を壊しながらもがむしゃらに働きました。解放された喜びはもちろんありましたが、どうしてもまとわりついてくる息苦しさが常にありました。人との関わりも上手くいかず、何度も何度も同じ失敗を繰り返しました。

結婚、出産を経てもその息苦しさ、生きづらさは変わらず、常に誰かに追われているかのように神経を張り詰めて過ごす毎日。そんな中での妊娠、出産、子育ては控えめに言っても過酷なものとなりました。もちろん我が子はかわいいです。愛おしい、唯一の存在です。しかし、ことあるごとに過去が足を引っ張りにきました。ずるずるとその力に引きずられそうになるたびに必死に抵抗する毎日。ただでさえ初めての子育てで四苦八苦なところに、余計なトラウマで消耗するのはもうやめたいと何度も思いました。

『両親のようになりたくない』

そう思えば思うほどに、癇癪を起こす息子に対して湧いてくるのは並々ならぬ怒り。その怒りの大元は、何処から来るのか。私は本当は、何に対して怒っていたのか。

どうしたら、負の連鎖を食い止められるのか。

古傷を無理矢理拡げるような痛みを感じながらもそこに向き合い続けた結果、私はようやく私自身を取り戻すことが出来ました。今はもう、何かに追われてもいないし、ご飯も美味しく感じます。子どもの泣き声に過剰反応することも無くなりました。

正直、フラッシュバックや悪夢などの症状は完全には消えません。しかしそれを日常に引き摺ることはなく、早めに落ち着く術も身につけました。

私はカウンセラーの資格も持っていなければ、大学等で心理学を専門的に勉強したわけでもありません。只のお母さんです。それでも、連鎖を断ち切ることは出来る。必ず、自分の心を取り戻すことはできます。

破壊の後に待っているのは、再生だけです。

再生出来るかどうかは、最終的には本人次第。その為には何が必要か。そもそも自分の生きづらさは何処から来ているのか。現状の自分の1番の問題は何なのか。そういった部分に向き合い、少しずつでも生きる力を取り戻して欲しい。アダルトチルドレンだからと、苦しいばかりの子育てになってしまうことを『仕方ない』なんて諦めないで欲しい。そういう想いで、このブログを立ち上げました。

noteTwitterでも、日々のことに織り交ぜながら、アダルトチルドレン故の辛さ、葛藤について発信しています。

私の書くものには、風邪薬のような即効性はありません。しかし、漢方薬のようにじわりじわりと効いてくるようなものが書けたら。今現在、生きづらさを感じている人たちにとって、そういう存在になれたら。その先に繋がる子どもたちの笑顔と、あなた自身の笑顔を取り戻すことができたなら。これ以上の喜びはありません。