書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki
日々、想いごと

命を繋いだ大嫌いな食べもの

毎年、6月頃に大きめの段ボールが我が家に届く。何処の県に住んでいようと、それは毎年欠かさず送られてきた。

段ボールの中身はじゃがいも。祖父母が畑で無農薬で作っている、甘くてほくほくのおいしい男爵芋だ。段ボールを開けると、嗅ぎ慣れた土の匂いがする。薄くまとった土を優しく払う。強くこすると薄い皮まで剥けてしまうから、そっと優しく水で洗う。

皮付きのまま、多めの粗塩を入れたお湯でぐつぐつと茹でる。新じゃがの塩煮。息子たちはこれにバターや醤油を少し垂らして食べる。私ははじめの1つは、何もつけないまま食べる。

甘い。

口にするたび、思う。
私は、祖父母が作るもの以上においしいじゃがいもを、まだ知らない。

子どもの頃、聞いてみたことがある。

「ばあちゃんのじゃがいもは、何でこんなにおいしいの?」

「余計なものを入れてないからなぁ。あと、土が旨いんだよ。だからだなぁ」

「”土”がおいしいの?」

「んだ。土が旨いと野菜も旨くなるんだよ」

でも、と祖母は続けた。そのあとに続いた台詞に、幼かった当時の私は少なからず衝撃を受けた。信じられずに、何度も聞き直した。しかし、理由を聞いてからは聞き返すことをやめた。以来、毎年のようにこの台詞を聞くようになった。

「でもなぁ。ばあちゃん、じゃがいも大嫌いなんだよ」

祖母は、東北の片田舎で生まれた。8人兄弟の末っ子で、みんなからかわいがられて育った。ゴム跳びが好きで、勉強が嫌いで、毎日陽が暮れるまで遊んでいたそうだ。

嫌いなものは、サイレンの音と飛行機。生涯一度も飛行機に乗ったことのない祖母は、死ぬまでそれを貫くのだと明言している。

大きな鉄の塊。けたたましいサイレンのあとにそれらが爆音を立てて飛んでくるたび、狭くて埃だらけのカビ臭い防空壕に逃げ込んでいた。集団で飛んできては、住み慣れた街を真っ赤に焼き尽くしていく。悠々と空を飛ぶ様を睨みつけ、幼心に憎しみを抱えていたらしい。

第二次世界大戦。祖母は子ども時代のありとあらゆる自由を、戦争によって奪われた。

「米が食べたくてなぁ」

おにぎりに味噌を塗りながら、手についた米粒をぱくりと頬張り、祖母は言った。

「おにぎりが食べたくて食べたくて。それなのに配給されるのは芋ばっかりで。毎日毎日、芋ばっかりでなぁ。甘く煮るかしょっぱく煮るかしかない芋を、毎日毎日食べてたんだよ」

ある日とうとう溜まりかねて、末っ子の祖母が母親に言った。

「母ちゃん。芋じゃないものが食いたい」

それを聞いた祖母の母は、怒って芋を娘に投げつけた。

「父ちゃんなんか草の根食ってるかもしれねぇのに!生きてるか死んでるかも分かんねぇのに!」

そう叫んで、曾祖母は祖母を抱きしめて泣いたそうだ。

甘い米が食べたい。もちもちとしたお米。それをぎゅっと握ったおにぎり。味噌や塩、海苔をまぶしたおにぎり。
そう思いながら、毎日もそもそとした芋を食べていた。母を泣かせたくなくて、二度と不満は漏らさなかったらしい。それでも心の中だけで、「米、米…」と念じていたと祖母は言った。

終戦の知らせは悲しくなかった。真っ先に頭に浮かんだのは、「これで米が食える」だった。
そう言った祖母の顔は、悲しいほどあどけなかった。

おにぎりを握る祖母は、いつだって嬉しそうだった。

「味噌塗ったあと、焼くか?焼かねぇか?」

私は焼かないと答え、姉は焼くと答え、兄は塩がいいと言った。同じ答えと分かっているのに、祖母は毎回その質問を私たちにした。食べ物を選べるしあわせを私たちに教えたかったのだと気づいたのは、大人になってからだった。

「嫌いなのに、何で毎年じゃがいも作るの?」

「嫌いだけど、芋のおかげで生き延びたからなぁ」

そう言って笑った祖母の顔に刻まれた皺が、何だかとてもきれいなものに見えたのを覚えている。

「届いたよ。ありがとう。さっそく塩煮で食べるよ」

そう電話すると、祖母は嬉しそうに「そうか、そうか」と笑ったものだ。
腰の曲がった祖母と未だに元気な祖父。二人が端正込めて作ってくれたじゃがいもを、私はもう、食べることができない。

昨年再び実家と絶縁し、実家に関わるすべての人間との連絡を絶っている。諸々が重なり、他にどうしようもなかった。祖父母は私がどこに住んでいるのかを知らない。私も今後、知らせるつもりはない。だからこそ、思い出す。

「でもなぁ。ばあちゃん、じゃがいも大嫌いなんだよ」

大嫌いなじゃがいもを、祖母はきっと来年も祖父と一緒に作るのだろう。土を耕し、堆肥をすき込み、旨い土を作って種芋を植える。
ぎっしりのじゃがいもと土のいい香りが詰め込まれた段ボールは、もう二度と届かない。

スーパーで買ってきたじゃがいもを、多めの粗塩でぐつぐつと茹でる。舌が覚えている味とは全然違うけれど、この食べ物が祖母の命を生かした事実に、私は一人、静かに感謝する。

こちらのエッセイは、noteに公開している作品をリライトしたものになります。noteで週に3~5本程度、エッセイ、小説を執筆しています。よろしければそちらも合わせて読んでいただけたら、とても嬉しいです。

ABOUT ME
碧月はる
エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。その他メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。