大好きではじめたことでも、それが義務感にすり変わってしまった瞬間、人は苦しくなる。
昨夜読んだいくつかの文章から、「しんどい」の気持ちが溢れていた。ぽろぽろと溢れているものもあれば、そのしんどさに終止符を打つ決意を表明したものもあった。どれもこれも、素直で正直な文章だった。
伝えたいことがあり、表で書こうと決めた。表で書くことは、見えない場所で好き勝手に書いているのとは全然違っていた。どちらが偉いとか、そういう話ではない。ただ、全然違ったのだ。
最初はひたすらに手探りだった。伝えたいテーマだけに絞って書きまくっていた時期もあった。結果、自身の心がとんでもなく疲弊した。
私が伝えたいものがしあわせな色だったら、きっとそうはならなかった。でも私が叫びたいことは、痛い悲しい色を孕んでいる。それらをレインボーカラーに塗り替えるなんてできないし、したくもない。闇夜は闇夜のまま、青空は青空のままに書きたかった。だから私は、一番伝えたいものを伝える頻度を変えた。基準は、自分が苦しくない範囲と頻度であること。その変化に伴い、やわらかいものを書く頻度が増えた。
息子たちへの愛しい気持ち。何気ない日常。大好きな本や映画の話。文章を通して出会ったたくさんの素敵な人たちの話。創作の話。
書いていてとても楽しく、しあわせな気持ちだった。書きながら思った。私はこれを、書きたいから書いているのだと。
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読んでもらえたら嬉しい。感想をもらえたら尚嬉しい。
”スキ”や”いいね”の数なんかで物事は測れない。そう思いながらも、やはりたくさんの反応をもらえるのは素直に嬉しい。
それでも結局のところ、自分が書きたいから書いている。それは何も自分の記事に限った話ではない。例えばnoteのコメント欄。Twitterのリプ。引用リツイート。全て、「書きたい」の気持ちから書いている。そこで自分の「伝えたい」欲はしっかり満たされているから、返信があるかないかはあまり気にならない。
返信をもらえたら、それはもちろん嬉しい。でもそれが相手の負担になってしまうのは、本末転倒でしかない。
大好きな書き手の作品を「読みたい」と思って読むのと、「読まなきゃ」と思って読むのでは、幸福度がまるで違う。
コメントもそれと同じで、嬉しいコメントをもらって「わぁ、ありがとう!」と思うのか。「早く返信しなきゃ」と思うのか。自分を追い込むように返信をタスク化してしまうと、きっとどんどん辛くなる。
以前他の媒体のSNSで、私はまさにその状態に陥った。結果、そのSNSはクローズ状態にした。辛くなってしまったのだ。返信できずにいるときに、LINEにまで飛んでくる催促に。
『返信ないけど、何か気に障ること言った?もしそうならごめんね』
謝られているのに責められているみたい。私には、そうとしか思えなかった。
時間はみな平等に、1日24時間しかない。生活習慣や環境も、家族構成も人それぞれだ。仕事をしている人、介護をしている人、文章以外の作品を創作している人、幼子の育児をしている人、体調が日によって不安定な人。
それぞれが許された時間の中で、書きたいから書く。読みたいから読む。返信する時間があればする。したくても忙しいときはごめんね、できない。(当然、仕事や必然性を伴うものは、この場合省く)
きっとそれで充分なんだと思う。
自分の文章を読んでほしくて相手の作品を読んだり。コメントがほしくてコメントしたり。そういう人もなかにはいるかもしれない。何かをはじめたばかりの人がそういう感情を抱いて行動することを、悪いとも間違いだとも思わない。みんな0からスタートするんだもの。誰かの文章を読むことが、書くことと同じくらい大きな一歩なんだ。
でも、それを強制したり押しつけあったりするのは、やっぱりやさしくない。美しくない。
輪が繋がっていくなかで生まれた絆は、決して何かを強制するためにつくられたものじゃない。そこに在るのは作品に対する純粋なリスペクト。そして、相手(書き手、読み手双方)への感謝。それだけでいい。

私は今日も書きたいからこれを書いたし、今夜も読みたいものを読む。ちびが夜泣きをすれば映画を見ながらちびを抱くし、長男と話をしながら絵を描くのもいい。
日中はご飯を作って、公園に行って虫を追いかけて、汗だくで帰ってきて風呂場でぬるめのお湯に浸かりながらシャボン玉で遊ぶ。そんな休日を味わいながら、自分がしあわせを感じる配分でやりたいこと、やるべきこと、好きなことをする。
やさしい人たちの一番の課題は、自分にもやさしくすることなのかもしれない。
あなたがみんなの心を気遣っているのと同じように、みんながあなたのしあわせを願っている。
「やらねば」より「やりたい」を。そしてときには、自分のしあわせと生活のために「やりたい」より「やらねば」を。さじ加減を試行錯誤しながら、日々を積み重ねていく。
そうしていつの日か、迷い悩んだ日々を懐かしく振りかえりながらおいしい珈琲が飲めたら、もうそれで充分しあわせなんだろうと私は思っている。
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こちらのエッセイは、noteに公開している作品をリライトしたものになります。noteで週に3~5本程度、エッセイ、小説を執筆しています。よろしければそちらも合わせて読んでいただけたら、とても嬉しいです。