書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki
日々、想いごと

光合成する植物のようにはなれなくても。

私にとって書くことは、呼吸をすることに似ている。吸い込んでは吐き出し、時にむせながらも定期的に酸素を取り込み、二酸化炭素を空気中に放出する。酸素と二酸化炭素の比率は気分によって変わる。いずれにしろ、生きていくうえで欠かせない行為と同等であることに違いはない。

それなのに随分長い間、表で書くことを自ら封印していた。それは一重に子育てに専念する為であり、自身の性格を省みての判断だった。
私は、書きはじめると寝食を忘れる。何なら、冬場に至っては入浴すら後回しにする。

言葉が浮かんだ瞬間に書かないと、逃してしまう。はじめて好きな人と手を繋いで歩いた時みたいなきらきらしたものが降ってきても、一瞬にして消えてしまう。そういう時、とてもがっかりして哀しい気持ちになる。目の前に綺麗な石があるのに、あとちょっとで手が届くのに、突然鼻先で掠め取られたような、そんな気持ち。

そんなだから、子育てとの両立は絶対に無理だと思っていた。実際、長男の破天荒ぶりや次男の甘えっぷりを見る限り、私の判断は正しかったと思っている。

ただ、あまりにも書けない期間が長過ぎて、私は飢えはじめていた。自分のなかで形を変えながら外に出たがっている感情や経験が、行き場を無くして少しずつ腐っていく。そのことがただ、悲しかった。

書きたい。どうしても、書きたい。

伝えたいことがある。今なら書ける。”過去”として捉えている、今の私なら。

次男の幼稚園入園を機に、Twitterを始めた。同時期に、ブログと一緒にnoteを始めた。

素敵な人たちがたくさんいた。やさしくて温かい人たちは、突然現れた私にも当たり前みたいに声をかけてくれた。拙い私の文章を読んでコメントまでくださる方もいた。

”胸がいっぱい”というのは、こういうときに使うものなのだろう。

ようやく深く呼吸ができるようになって、数年かけて溜め込んできたあらゆるものが外に出たがっている。それ以前の記憶たちも、早く早くと私を急かす。こちらの都合も考えずにみんなして奥の方からせっついてくるものだから、私は時々それに追い付けずに目を回す。

その熾烈な争いに勝って表に出られた子たちは、心優しいフォロワーさん達に『スキ』される。更新頻度を上げてからは、フォロワーさん以外の方からもスキされることがぽつりぽつりと増えてきた。

我が子を『スキ』と言ってもらえる。それは、単純に嬉しいことだ。決して綺麗なだけではない、時に残酷な私の世界に、noteという存在は架け橋をつくってくれた。読んでくれる人がいる。読みたいと言ってくれる人がいる。原稿用紙に書き殴っていただけの時には、決して出会えなかった人たち。その人たちの文章に触れることもまた、私にとっての呼吸である。

呼吸を思い出した私は、今日もせっせと酸素を取り込み二酸化炭素を吐き出す。酸素の分量を増やせるようになってきたら、書きたいものがまた変わるのかもしれない。

来年の今頃、私はどんな比率で呼吸をしているだろう。少しずつ広がってきた世界。息を止めない限り、これからもさらに世界は広がる。
光合成する植物のようにはなれなくても、吐き出すものの成分がきれいなものじゃなくても、私は私のまま、これからも書いていく。それが私にとって、生きることだから。

こちらのエッセイは、noteに公開している作品をリライトしたものになります。noteで週に3~5本程度、エッセイ、小説を執筆しています。よろしければそちらも合わせて読んでいただけたら、とても嬉しいです。

ABOUT ME
碧月はる
エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。その他メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。