書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki
アダルトチルドレンからの再生

【産声】

誰が死んでも、誰が生まれても、天変地異が起こっても、感染症の脅威に世界中が振り回されても、季節は淡々と巡り続ける。そんなことはとうの昔にわかりきっているのに、もうじき12月がくるという事実が、容赦なく私の喉を塞ぐ。

昨年の12月、私は多くのものを失い、絶望の只中にいた。今だから言えることだが、ここで前向きな言葉を綴っている最中も、脳内では“終わらせる”ための計画を無意識に練っていた。場所も、方法も決まっていた。これなら絶対失敗しない。私はもう、疲れたんだ。いい加減、休ませてほしい。その思考が全身に根を張り、少しでも気を緩めるとずるずると引き摺り込まれた。処方された薬袋を無造作に逆さまにして、余っている錠剤を数える。過去、胃洗浄を受けた際に飲み込んだ数の半分にも満たない、50錠ほどの白い玉をじっと眺めた。飲み干しても死ねないであろうことは、経験からわかっていた。でも、それに幾つかの要因を掛け合わせれば死ねることも、同じくわかっていた。

昨年の12月に何があったのか、改めて詳細を記すつもりはない。ただ、かいつまんで話をするなら、唯一信頼していた肉親に裏切られ、元夫は涙ながらに交わした約束をあっさり破り、最愛の息子たちと引き離され、何が何だかわからないうちに閉鎖病棟に入院させられた。退院した頃には、しっかりと「育児能力のない母親」のレッテルを貼られていた。学校にも、幼稚園にも、近隣の人たちにも、私の友人にまでも。そのレッテルを貼って歩いたのが自分の親だというのだから、もはや笑うしかない。

「この子は、本当に可哀想な子なんです」

母親が主治医に言った言葉が、今も耳の底に張り付いて離れない。おかしいのは娘の頭で、膨れ上がった被害妄想に取り憑かれていて、そんな私には「お金を稼ぐこともシングルで育児をすることも、できるわけがない」と母は言った。

あれから、1年が過ぎようとしている。私は多くの人の力を借りて、無事に経済的自立を果たした。エッセイスト/ライターという仕事と、定期的に振り込まれる障害年金。これらを併せれば、健康で文化的な生活が送れるようになった。障害年金には、「子の加算」という制度がある。扶養中の子どもがいれば、子の人数に応じて加算額が支給されるのだ。それも含めれば、子ども二人を養いながら生活していくには充分で、贅沢はさせてあげられないけど、ごく普通の生活や学習環境を整えるには事足りる月収を、私は現在確保できている。(現状、私は子どもと世帯を別にしているので、当然ながら「子の加算」は受給していない)母が「できるわけない」と言いきった事柄を、私は成し遂げた。私よりはるかに小さく、私よりはるかに声の大きい母。母が診察室で必死に捲し立てていた言葉の片鱗を拾い集め、繋ぎ合わせてみた結果、彼女が守りたかったのは“娘”ではなく、“自分の体裁”だったことを知った。

「私は、虐待なんてしていない」

母はきっと、それを伝えようと必死だったのだろう。医師に、それ以上に、娘である私に。自分が「虐待をしていた」と正面から認められる親は、きっと多くない。誰だって、自分の非を責められるのは怖い。私だって例外じゃない。人は他人には簡単に指をさすけれど、自分がさされるとその指を払いのけることに必死になる。

母は、どんな気持ちだったのだろう。自分の行いを暴かれまいと必死になり、実の娘を狂っているもののように周囲に触れまわり、「可哀想な子なんです」と言って歩いた夜、母は、食事が喉を通ったのだろうか。すんなり眠れたのだろうか。

“嘘”は、どこまでもついて歩く。例え誰にもバレなくても、嘘をついた本人だけは、“自分が嘘をついたこと”を知っている。逃げられない呪縛を増やし続けてきた母は、もう、そこに罪悪感など微塵も抱かず、真っ赤な口紅を塗った口角を無理矢理引き上げ、今日も安い焼酎を台所で飲んでいるのだろうか。

お母さん。あなたの娘は、「書いて生きる」を叶えたよ。経済的に自立もしたよ。後遺症は変わらず私を蝕み続けているけれど、それに喰われず抗う術も覚えたよ。息子たちと物理的には離れているけれど、心は繋がり続けているよ。

お母さん。あなたは、いつだって自分を守ることに必死だったね。自分が間違えたときも、それを周囲に悟られそうなときも、お父さんから守ってくれなかった夜も。自分を守りたくて、そのために私の口を塞いで、そのぶんまで懸命に捲し立てるように話し続けて、結果あなたの手元には、何が残ったのですか。

生涯で一度でいい。一度でいいから、守られたかった。母親であるあなたに、私は、守られたかった。認められたかった。愛されたかった。

愛憎は容易にひっくり返る。私の奥には強い憎しみがじっとりと沈んでいて、でも、さらにその奥には、幼子のような欲求が情けなく浮いている。

「よくがんばったね」
そう言って、頭を撫でて、抱きしめて。

これさえ叶えば、私の渇きは驚くほど満たされるだろう。でも、その願いは永遠に叶わない。

曲がりなりにも17年住んだ家だから、電話番号は指が覚えている。時々、衝動的にスマホのプッシュボタンを押しては、慌てて思いとどまっている。今日は特に、その衝動が強い日だった。私が表で書き続けてきた内容、それに対する周囲の反応、そういう何もかもをぶちまけて「あなたたちは間違っている」と断罪したい欲求は、驚くほど甘やかで、ねっとりと手招きしてくる。でも、それをしたところで、私は多くを失うことはあっても何かを得ることはない。母にとっては、絶対の被害者は“母自身”であって、私ではないのだから。

衝動を堪えるのは、容易ではない。でも、私には守りたいものがある。笑っていてほしい人たちがいて、その人たちは私が笑って生きる道を心から望んでくれている。だから私は、襲いくる衝動を噛みちぎって投げ棄てる。

与えてほしかったもの、叶わなかった願い、渇き続ける喉。その喘ぎを武器ではなく、息子たちを抱きしめる力に変える。

「だいすきだよ」

そう言って抱きしめると、息子たちはいつもくすぐったそうな顔をして身をよじる。そして、私の背中に小さな手のひらをそっと回す。

与えられなかった痛みは渇き続け、ひび割れ続ける。でも、与えられなかったから与えられないなんて、そんなの嘘だ。

お母さん。私は今でも、どこかであなたを求めている。でも、だからこそ、私はあなたと同じ道は歩まない。来月、あなたが私を産んだ月を迎える。「本当は要らなかった」けど「仕方なく産んだ」私の産声を、あなたは、覚えていますか。私は、覚えていない。でも、あなたが渋々でも産む選択をしたから私は存在していて、今も生きていて、息子たちがいる。だから、敢えて言う。

産んでくれて、ありがとう。
私はいま、ちゃんとしあわせだよ。

この気持ちを、保ち続ける。それが何よりもの復讐であり、這い上がる術であり、私が私で在り続ける唯一の道だから。

ABOUT ME
碧月はる
エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。その他メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。