書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki
HSC(ひといちばい敏感な子)の子育て

暴言に対する正しい回答

今に始まったことではないけれど、大人も子どもも深く考えずに相手に暴言を吐く場面を見る機会がとても多いと感じる今日この頃。

その最たるものが、「死ね」という言葉。

かなり酷い言葉なはずなのに、みんな息を吐くようにこの言葉を使う。

「あいつマジ死ねよ」

「あんな奴、死んだ方がいい」

言われる側はたまったものではない。それなのに小学生の世界でさえも、すでにこの台詞は蔓延している。

自身の経験上、『言霊(ことだま)』というものは存在すると思っている。口から出た言葉には、魂が宿る。どんな意志で発したものであれ、言葉は独り歩きをするものだ。そしてその言葉たちは、受け手の心境や状況を何も考えてはくれない。

もしも万が一、他の理由で塞ぎ込んでいる人にあなたが「死ね」と言った場合。その一言が、本当に引き金になってしまうことも充分にありえる。そうなった時に責任が取れるわけでもないくせに、安易に人の心を切り裂く言葉を使う人は、その瞬間に自らの心をも傷付けているのだということに早く気付いて欲しい。

先日、長男が憤って学校から帰ってきた。どうしたのかと理由を聞いてみたところ、同級生からこう言われた、と鼻息を荒くしながら話してくれた。

「うざい。死ね」

理由は、その子が他の子に意地悪をしていたところを長男が注意したから。母親としてこちらも憤りを隠せなかったが、まず最初に私はこう尋ねた。

「それを言われて、あなたはどう答えたの?」

うちの長男は、決して大人しいタイプではない。黙って言われっぱなしになることは絶対にないので、同じ台詞で応戦してしまったのではないかと心配になったのだ。

しかし、長男からは思いもかけない返事が返ってきた。

「”まだ死ねない。お前に人生決められたくない!”って言ってやった!!」

そう答えた長男は怒りが収まらない様子だったけれど、私は何だか胸がいっぱいになり、先ほど感じた怒りも何処かに飛んでいってしまった。

この子は大丈夫。
この先何があっても、どんなに理不尽なことが降りかかったとしても、自分の命の尊厳と生きる力が根底にある。
泣いてもきっと立ち上がれるし、挫けて引き返す道のりの途中で見たことのない景色を見つけることも出来るだろう。

私は短気だし、すぐにいっぱいいっぱいになるし、決して世間一般の方々が思い描いているような『理想のお母さん』ではない。それでも、この長男の台詞を聞いた時、自分の子育てを肯定してもらえたような気がした。

『間違ってないよ』

そう、言ってもらえた気がした。

私が目指す子育ては、”自らの人生を自らの意志で歩んでいける人間にすること”だから。

毒を吐き出し、「イライラするから走ってくる!」と家の周りを5周して汗だくで帰ってきた長男は、すっきりとした顔をしていた。

悪いものを吐き出して身体を動かす。好きなことをする。美味しいものを食べる。うちの二人の息子たちは、大抵これで元気になれる。

この子を産んで良かった。
この子たちに出会えて良かった。

もしもあなたが見知らぬ誰かや身近な誰かに、理不尽に「死ね」と言われたら。そのときは、我が家の長男の台詞で応戦することを強くお薦めしたい。

「まだ死ねない。お前に人生決められたくない!」ってね。

こちらのエッセイは、noteに公開している作品をリライトしたものになります。noteで週に3~5本程度、エッセイ、小説を執筆しています。よろしければそちらも合わせて読んでいただけたら、とても嬉しいです。

ABOUT ME
碧月はる
エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。その他メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。