無駄だ ここは元から楽しい地獄だ
『地獄でなぜ悪い』星野源
生まれ落ちた時から 出口はないんだ
鼓膜から脳内へと伝わる音楽をひとり噛みしめながら、秋の空を見上げていた。温かい言葉と、救いのない言葉。どちらを求めるかは、その日のコンディションによる。最近の私は、どちらかというと後者を選択することが多い。
流れるうろこ雲のなかを、大勢のアキアカネが泳いでいる。水平に伸ばした羽根の向こうに、青い空が透けている。きれいだ。単純にそう思いながら、流れる曲の歌詞に再び耳を澄ませた。
“ここは元から、楽しい地獄だ”
地獄なだけではなく、楽しいだけでもない。「楽しい地獄」――人生を表す言葉として、これほどしっくりくる表現を、私は他に知らない。
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前回noteでエッセイを書いてから、およそ2週間が経った。少し前に毎週更新が途切れてからというもの、ふっつりと糸が切れてしまった。週に1度の更新頻度は、少ないようでいて案外重いタスクとなっていたらしい。
この2週間、文章そのものを書けなかったわけではない。ただ、「表に出せる文章を書けない」状態が長らく続いていた。この間、下書きは8つほど溜まっている。どれもこれも、嫌な臭いのする文章だ。ある人物を憎み、恨み、したたかに殴りつけるためだけに書かれたそれらは、支離滅裂で、醜くて、愚かな私の内面が克明に映し出されている。それでも、削除する気にはなれない。この感情は紛れもなく私のもので、それだけのことをされた結果で、正当な怒りだと感じている。だから、消さずに眠らせている。
やさしいものを書きたい。穏やかなものを書きたい。そう思ってパソコンに向かうものの、気がつくとあふれる怒りに飲まれている。台風のあとの河川のように、濁流があらゆるものを押し流していく。やさしさも、温もりも、きれいな景色も、幸福な思い出も、すべて。広がりゆく地獄のなかで、私は、全裸で横たわっていた。感覚を飛ばし、意識を飛ばし、「最短時間で終わらせる」ため、己の感情を殺す。昔と同じだ。そんな自分を、斜め上から見下ろしていた。私は、私を助けない。ただ、黙って見ている。
「楽しい」と「地獄」の比率は、人により異なる。誰かのそれと比べても、己の立ち位置は変わらない。変えようともがく以外に道はなく、もがいたからとて、必ずしも変えられるものばかりじゃない。
私にも、「楽しい」はある。特にここ最近は、相方のおかげもあり、「楽しい」の比率が格段に増えた。それでも、気を抜くと引っ張られる。
元から地獄だった。あの頃を思えば、今は天国じゃないか。何度も何度も、そう思おうとした。でも、なかなかどうして、うまくいかないものだ。人は、慣れてしまう。地獄にも、天国にも、長く浸かっていると、いつの間にか慣れてしまう。