書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki
海のことば、空のいろ

【当たり前のことが、当たり前にできない】

こちらのエッセイには、虐待や性暴力の描写が含まれています。フラッシュバックを引き起こす恐れのある方は、読み進めるかどうかのご判断を各自でお願いいたします。

エッセイの主要部分は無料で読めます。尚、この記事で得た収益は、虐待防止運動を行なっている団体に全額寄付させていただきます。

大人の歯が生え揃った頃から、定期的に奥歯が疼くようになった。一度だけ、痛みを母に訴えたことがある。そのとき母は、心底面倒くさそうな顔で「気のせいだ」と言った。学校で行われる歯科検診で虫歯がゼロだった私は、母の言葉に頷くよりほかなかった。虫歯じゃないのだから、気のせいだ。しかし、そう思い込もうとすればするほど、不快な疼きが顎下まで響いた。

風邪をひくと、よく頭や頬をぶたれた。

「病院代がかかるでしょう!勉強も遅れちゃうし……なんで風邪ひくの?!」

身体の不快症状を取り除くには、病院に行かねばならない。病院は、お金がかかる。我が家には、お金がなかった。父が飲む酒代はあっても、私が病院にかかるお金は「無駄金」だと言われた。母に食い下がってまで痛みを訴えても、新たな痛みが増すだけだ。それがわかっていたから、私は二度と「歯が痛い」とは言わなかった。

数日前、奥歯に鋭い痛みが走った。長年の付き合いになる鈍痛ではなく、もっと明確な痛みだった。食べ物を噛むたび、“みしり”と奥歯が軋む。数日経っても症状は引かず、我慢できるかできないかの境目程度の痛みが延々と続いていた。

虫歯か、歯周病か……とにかく一度、歯医者に行かなければ。そう思いながらも、腰は重かった。私は顎関節症を患っており、これまでも虫歯や親知らずの治療中に何度か顎が外れていた。歯を削られる痛みも、麻酔の注射も、不快ではあるが我慢できる。しかし、顎が外れる恐怖はどうしても拭えなかった。顎が外れる痛み以上に、浮かんでくるビジョンに耐えられない。私の顎がはじめて外れた瞬間、目の前にあったもの。その異物に喉を押されてえづく感触が、まざまざと蘇る。治療台の椅子を握りしめて冷や汗をかきながら、叫ぶまいと全身に力を入れる。歯科医師の多くは男性で、男性すべてを嫌悪するのは間違いだとわかっていても、本能が拒絶する。吐きたい。叫び出したい。今すぐここから逃げたい。――こういうのがつらくて、どうしようもなくつらくて、私は、この年になっても歯医者が苦手だ。

重い腰を上げ、どうにか訪れた歯医者で、初診用の紙に名前と住所を記入した。ペンを持つ指が震え、声が上ずる。

大丈夫。私は今、安全なところにいる。
虐待が行われたのは過去であり、今じゃない。

以前、精神科の医師から教わったまじないを心のなかで繰り返し唱える。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
大丈夫じゃないときほど、人は「大丈夫」と言いたがる。

小気味良い話し方をする、腕のたしかな医師だった。痛みの原因は、虫歯でも歯周病でもなかった。

「奥歯を強く噛みしめる癖、ありませんか?」
「……あります」
「でしょう。この感じだと、かなり日常的に噛み締めてますよね。顎関節症もそこからきていると思います。マウスピースの使用をお勧めしますが、型取りされますか?」
「今日、そんなに持ち合わせがなくて。いくらかかりますか?」
「6,000円です。次回でも大丈夫ですよ」
「じゃあ、次回でお願いします」

歯石を取ってもらい、かみ合わせのズレを微調整し、今日の診察は終了した。顎が外れることもなく、パニック発作を起こすこともなかった。「診察時に気をつけてほしいこと」の欄に、「顎が外れやすい」と書いた。それを読んだ医師は、「外れたら治してあげるから大丈夫」と笑いながら言った。私の気持ちを和らげようとして言ってくれたのだと、声の雰囲気でわかった。それなのに、内臓が焼けるように熱くなった。

そういうことじゃないんです。

その一言を口に出すのは、正しくない。だからいつだって、無理やりに飲み下す。私が悪くないのと同じように、「治してあげるから大丈夫」と笑った医師も悪くない。わからなくて当然だ。私は嘘をついていないが、本当のことも話していないのだから。

事実を隠して生きるほうが、何倍も生きやすい。顎が外れるたびにどんなビジョンが浮かぶのか、喉を押される感触がどんなものか、私がそれを体験した年齢が一桁であること、相手が父親である事実を、いちいち見知らぬ誰かに説明してわかってもらおうなどとは思わない。こんな話、誰も知りたくないし、本当は聞きたくないんだ。私だって、誰かの悲鳴が聞こえたら、反射的に耳を塞いでしまう。だから、誰のことも責められない。ただ、つらい、と思う。当たり前のことが、当たり前にできない。そのことが、こんなにもつらい。

歯が痛むから歯医者に行く。たったそれだけのタスクをこなすのに、全身の力を振り絞らなければならない。

「奥歯を強く噛みしめる癖、ありませんか?」

医師の言葉を思い出し、乾いた笑いがもれた。こんな日常を過ごしながら、噛みしめるなというほうが無理な話だ。マウスピースの費用6,000円を、今の私は払える。でも、親から逃げて貧困に喘いでいた20代前半なら、諦めていただろう。悪夢を見ては無意識に食いしばり、フラッシュバックのたびに絶叫を噛み殺し、ぎりぎりと鳴らし続けた奥歯が、いよいよ悲鳴を上げた。ただそれだけの話だと、そう思えたならどれほど楽だろう。でも、うまく割りきれないし、痛いものはいくつになっても痛い。

虐待の苦しみは「渦中」だけではなく、「解放されたあと」もこうして延々と続く。やった側がとうに忘れ、酒を飲んで眠りこけている間も、された側は痛みに呻いてのたうち回る。後遺症に、終わりはあるのだろうか。あるとするなら、それは一体、いつなのだろう。やり場のない怒りが、私のなかで唸り声を上げている。暴れまわる怒りを御するべく手綱を握った手のひらに、荒々しく縄が食い込む。ひとつの痛みを押し込めるたび、痛みが増えていく。痛かった側が飲み込むしか術のない現実が、あまりにも多すぎる。

「可哀想」だと思われたいわけでも、同情してほしいわけでもない。ただ、世界のどこかに同じような人たちがいて、残念ながらその数は、ニュースで見る数字より何倍も多いのが現実だ。虐待を受けて保護に至る子どものほうが、圧倒的に少ない。何も行政を責めたいわけではない。そもそもの前提として、人員も予算も設備も足りていないのだ。そして何より、巧妙な虐待は表に出てこない。性虐待は、その最たるものだ。被害者には、大抵自責の念がすりこまれている。私自身、「お前が悪い」「お前のせいだ」と言われ続けて育った。結果、被害を誰かに訴える意志など根こそぎ奪われ、ただひとりの幼馴染をのぞいては、誰にも言わずひた隠しにして生きてきた。

被害に遭った人に「声を上げよう」と軽々しく言うことは、私にはできない。そこには少なくない痛みが伴うし、誰しもが前向きな理解を示してくれるわけではない。私自身、言いたい放題言われた経験は数えきれず、そのたびに迷い、幾度となく筆を折るか迷った。実際、私ひとりの体験を書いたところで、何がどうなるわけでもない。でも、もしかしたら届くかもしれない。同じ痛みに呻いている誰かに、やりきれない思いを堪え、ぐっと奥歯を食いしばっている誰かに、届くかもしれない。その人に、「あなたは悪くない」と伝えたい。ただその一心で、この文章を書いている。

傷つける行為と「お前が悪い」の台詞は、大抵セットで使われる。その刷り込みの力は、想像以上に凄まじい。私自身、まだ完全にふりほどけたとは言えない。でも、だからこそ何度でも自分に言う。

被害者の喉を潰す加害者の声なんて聞かなくていい。力づくで虐げた者の言葉など、ただの戯言だ。
私は、悪くなかった。私は、子どもだっただけだ。抗わなかったんじゃない。抗えなかっただけだ。

世の中には、知らなくていい痛みがある。味わう必要のない苦しみがある。無理やりに押し付けられたそれを、糧になんかしなくていい。「傷ついた」と泣き叫ぶ。ただそれだけが許されないなんて、どう考えても間違っている。乗り越える前提で泣く人なんて、きっといない。泣いている最中は、ただただつらいのだ。つらくて、痛くて、苦しくて泣いているのだ。そんな人に、「乗り越えろ」と簡単に言わないでほしい。誰よりも本人が思っている。乗り越えたい、と。だからせめて、気が済むまで泣かせてあげてほしい。涙が枯れるまでには、長い時間がかかるだろう。でもそれは、溜め込んできたぶんだから。泣きたくても泣けなかった、泣くことさえ許されなかったぶんの涙だから。止めないほうがいいのだと思う。泣きやんだあと、酸欠で頭が割れるように痛くなったとしても、それでも泣ききってしまったほうがいいのだと思う。

泣きながら書いたこの文章が、誰かのフラッシュバックの引き金にしかならなかったら――そう思い、下書きに眠らせたままのエッセイが無数にある。でも、今夜は公開すると決めた。「当たり前」を「当たり前」にできない人間だからこそ、書けることもある。そう開き直らなければ、やっていけない。このエッセイを読んで「同じだ」と感じる人がひとりでも少ない世界を願い、私は私にできることをする。

ABOUT ME
碧月はる
エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。『DRESS』『BadCats Weekly』等連載多数。その他メディア、noteにてコラム、インタビュー記事、小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。