雨の日は、外出が億劫になる。でも、雨はすきだ。雨露に濡れた植物が潤う様を見ると、こちらの気持ちまで豊かになる。雨の音、雨の匂い、雨の日の空の色、それらすべてが、私はすきだ。
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花びらの窪みに、滴が溜まる。透明なそのひと滴が、草花の命をつなぐ。カメラのファインダーから覗き込むのと、肉眼で見るのとでは、少し色が変わる。どちらから見た景色も、それぞれの趣がある。肉眼には肉眼の良さが、レンズにはレンズの良さがある。雨も晴れも、レンズも肉眼も、他のあらゆる事象において、私たち人間は、得てして“良し悪し”を決めたがる。どちらが“すきか”だけでいいのに、自分の“すき”を“正しい”と思い込む。そういう小さな勘違いが、あちらこちらで歪みを生んでいる。
草花は物を言わない。でも、それはもしかしたら、私たちに聞こえていないだけなのかもしれない。森にはこだまがいて、森を守る主がいて、植物たちはそれぞれに通じる言葉でしっかりと会話をしている。時々、そんな世界を想像する。
彼らから見て、私たち人間はどう写っているのだろう。驚異の存在だろうか。それとも、ただ単に滑稽な生き物に見えているだろうか。
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