故郷で迎える新たな年のはじまりは、雪とともにあった。年の暮れに降り積もった結晶が、世界を白に染める。頬を切る風は氷のように冷たく、呼吸をすると肺が凍えた。あの街で越す冬は、あらゆる意味で厳しかった。
雪が降る音を聞きたかった。本当に「しんしん」と降るのかを、私は知りたかった。知りたいこと、不思議なことがたくさんあった。でも、何かを「知りたい」と思うたびに心を挫かれた。
「そんなことを知っても役に立たない」
“役に立つ”とはどういう意味だろう。それを聞いたら、ぶたれた。「勉強」は必要で「学びたい」気持ちは不要なのだと、そう悟るのに、さして時間はかからなかった。
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小学生の頃には冬のたびに見かけていたかまくらも、高校生の時分にはほとんど見なくなった。教科書で「オゾン層の破壊」や「地球温暖化」を習いはじめたのは、たしかその頃だったと記憶している。25年も前から問題提起されてきた環境破壊は、未だに解決していない。あの当時、同じクラスの誰かが「人間が滅びればすべて解決する」と言った。その発言を教師は咎めたが、私は内心「正しい」と思っていた。そんな高校1年の冬、一度だけ大雪が降った。
下校時、あまりの積雪量に交通機関はすべて麻痺した。電車もバスもストップしたため、多くの生徒を迎えに来た自家用車で校内周辺は一時渋滞した。迎えの車を待つか、歩いて帰るか。そんな二択を話しあっている生徒たちの脇をすり抜け、私は河原沿いの道をひとり歩き出した。さくさくと音が鳴る。雪の降る音は無音で、踏みしめる音は「さくさく」だったり「キュッキュ」だったり「ジャバジャバ」だったり色々なのだと、すでに私は知っていた。だから、特にときめきのようなものはなかった。帰宅に時間がかかる言い訳があることだけが、ほのかに嬉しかった。