書くことは、呼吸をすること。
ー碧月はるーHaru Aotsuki
ちいさな箱のちいさな唄

【大トロとウニとえんがわ】~掌編小説

「俺、彼女いるけど」

人の上に跨がってからその台詞を言うのは、あまりにも卑怯なんじゃないかと思う。それなりのことをされて、身体も心もそれなりの準備が整った後に、「二股だしあなた2号だけどそれでもいいよね?」っていう台詞をさらりと言われた私は、一体どうすればいいのだろう。

「いたんだ……彼女」
「遠距離だけどね。だから、全然会えない」
「へぇ……」

全然会えない彼女の代わりに、手近にいた私を求めたわけか。身体と、それなりの心も含めて。
何度かデートらしきものをして、わりと深い話もして、お決まりのように自宅のキッチンで手料理を作って。そこから「泊まってく?」みたいな流れになり、今に至る。

”ちょっといいいな”と思っていた人にこういうことをされると、哀しくなる。それと同時に、何故か意味不明なプライドがむくむくとわき上がってくる。

「別にいいんじゃない?」

私も本気じゃないし。そう口には出さないけれど、そんな雰囲気が伝わればいいと思いながらぞんざいに答えた。

大丈夫。まだ本気じゃない。知りあって日も浅いし、今ならちょっと傷付くくらいで済む。

ここで怒って平手打ちをして彼の部屋から飛び出したって、多分誰も私のことを責めない。むしろ、「なにそれ、最低!」と一緒になって怒ってくれるだろう。この無邪気な笑顔が可愛い、どうしようもない男のことを。彼だって、「ごめんね……」と項垂れて私に謝ってくれるだろう。それがわかっているのに、つまらないプライドを守る為に私は自分から男の首に腕を回す。

口づけをしながら思う。私は、「ごめんね」と言われるのが嫌でこうしているのだ。こういうときに使う「ごめんね」は卑怯だ。ごめんと言われたら、許さなきゃいけないような気持ちになってしまう。絶対に、許したくなんかないのに。

互いの舌を絡ませながら、頭の奥の方が嫌な感じに痺れてくるのがわかった。じんじんとした痺れが、徐々に鼻の奥に移動する。

やめてよ。やめて。これ以上こっちに来ないで。そのへんで留まっててよ。

願ってもその痺れは一向に言うことを聞かず、私の鼻の一番苦しいところまでやってきて駄々をこねる。喉の奥がぐうっと鳴った。途端に、嘘みたいに溢れた。

頬にそれが溢れ落ちた瞬間、弾かれたようにこちらを見据えた彼は、静かに息を飲んだ。唯一の救いは、目が泳いでいないことだった。彼はちゃんと覚悟していたのだと、その瞬間理解した。

「殴ってもいいよ」

一瞬、本気でグーパンしてやろうかと思った。でも、多分そのあと、余計惨めになりそうだからやめた。

けっこうちゃんと好きだったんだな。くしゃくしゃに笑った顔とか、静かな話し声とか、お刺身を食べるときに醤油皿にわさびを溶かさないところとか。重なってもいいと思うくらいには、ちゃんと好きだった。

彼の首から腕を離し、床に落ちている下着を拾い上げた。それらを身体に身に付けながら、当たり前みたいな口調で言った。

「お寿司食べたい。回ってないやつ」
「今から?」
「そう、今から」

あなたと最後に食べる食事は、美味しいものがいい。美味しいものを食べて笑ってさよならしたら、あなたのLINEの履歴もTwitterのアカウントも全て消去するから。

「いいよ。何のネタ食べたいの?」
「大トロとウニ。あと、えんがわ」
「うわ。高いのばっか」

笑いながら言うその顔が少し泣きそうで、その表情を直視できなくて、必死に彼の後ろの壁のポスターを眺めていた。私の大好きなボン・ジョヴィが、自信満々な顔でこちらを見ている。

あんたの歌を好きだったせいで、この人を好きになっちゃったのよ。

「ボン・ジョヴィ好きなの?」

彼が一番はじめに私に言った台詞だ。

本来一つも悪くない世界的なミュージシャンを逆恨みしながら、小さな穴蔵みたいな部屋の玄関に向かう。ベージュのミュールを足に引っかけて、ドアノブを握りしめた。またしても鼻と喉の奥で変な音がしたけれど、無理矢理に飲み下して扉を押し開けた。

夜風が心地よく吹いている。星はあんまり見えない。

ここで、引き留めるみたいに手首を掴んでくれたらいいのに。そして「彼女とは別れるから」なんて、思ってもいない嘘を上手についてくれたらいいのに。

嘘が下手なくせに中途半端に嘘をつこうとする人は、多分根本はやさしい人だ。

大好きな大トロとウニとえんがわを、嫌いになるかもしれない。それは何だか寂しいから、やっぱり五番目くらいに好きな赤貝とかヒラメにしておこう。好きなものを、これ以上嫌いになりたくない。

もしも別れ際に「ごめん」とか「ありがとう」とか言ってきたら、本気でグーパンしてやる。そう心に決めて、そこそこ好きな男の背中を見つめた。背中はもう、震えていなかった。

私の喉だけが、いつまでも情けなく痙攣していた。遠くで聞こえる野良猫達の野性的な鳴き声が、やけに羨ましかった。

こちらの小説は、noteに公開している作品をリライトしたものになります。noteで週に3~5本程度、エッセイ、小説を執筆しています。よろしければそちらも合わせて読んでいただけたら、とても嬉しいです。

ABOUT ME
碧月はる
ライター、エッセイスト。 書くことは呼吸をすること。 虐待サバイバー。自身の原経験を元に、子育ての悩みや虐待抑止に繋がる発信をしています。 noteではエッセイ、小説を執筆中。 海と珈琲と二人の息子を愛しています。